2012年2月 3日
『京都の企業はなぜ独創的で業績がいいのか』堀場 厚 (著)
装丁の一部に京紫。まず、この色で「わかってはるなぁ〜」と思う。ページを繰る。一流の企業が一流であり続けるためにおこなっていること。一流の人を育てるためにおこなっていること。
谷崎の書いた『陰翳礼賛』は、いまでも欧米の人たちに人気があります。なぜなら、彼らの祖先の多くは、もともと洞窟に住んでいた。だから、こうした薄暗さのなかに美を見出す文化が残っているのでしょう。 外国人の社員と信頼関係を築くためにも、明かりの問題を考えなければなりません。そこで私たちの研修所のラウンジでは、火を囲み、自然な明るさの中でコミュニケーションを取るように心がけています。そうすると、馴染んできた安心できる明るのもと、腹を割って話すことができるのです。
父は、「人を大切にしなければモラルが落ちる」と創業当時から口を酸っぱくしていっていました。実際、私たちは本格的なリストラをやったことがありません。もちろん、業績が厳しいときには賃金カットを実行しました。しかし、いまだかつて正社員の首切りをしたことがありません。 私たちは、前述のように、毎年100人規模で新人を採用しており、常に新しい血を導入しています。優れた「人財」は見えない価値を創造します。経営環境が厳しいときこそ我慢して採用を続け、景気がよくなりシェアを伸ばすときに彼らに活躍してもらうのです。 リストラは従業員のモラルを低下させ、それだけでもデメリットが大きいのですが、「目に見えない資産」を大切にする私たちの企業文化の根幹を破壊してしまいます。
◎読書メモ
『原発のウソ』小出 裕章 (著)
『放射線から子どもの命を守る』高田 純 (著)
『放射能と健康被害 20のエビデンス』岡田 正彦 (著)
『京都ルール』都会生活研究プロジェクト[京都チーム] (著)
『京都おもしろウォッチング』赤瀬川 原平 (著), 藤森 照信 (著), 路上観察学会 (編集)
まるっきり虚弱
先月は生まれてはじめての胃腸炎で、今日は普通に風邪です。胃腸炎の時は痛いながらも食欲があったのに(生存本能?)、今日は普通の風邪だからかまるっきり食欲がありません。ポカリを買ってきたものの、寒そうだから飲んでいない。
息子の夕食をどうしよう。息子に水をくんできてもらって、息子にパスタでも作ってもらうか。
フルマラソンを走った私と同一人物とは思えない。いかんですたい。
でも、今年寒すぎるよ?
京都:後七日御修法(通称:みしほ)

父に連れられ、東寺さんの『後七日御修法』(通称:みしほ)を見に行きました。真言宗最高の秘儀で、ひらたく言うと一週間かけて天皇の御衣を清める儀式だそうです。ひらたすぎてすいません。

美しく走る車や、立派な風呂敷や、白い砂利などに見とれておりました。こういう行事は、永遠に続いてほしいです。
京都:瀧尾神社(たきのおじんじゃ)

『京都の史跡を訪ねる会』の「辰年に因んで龍にまつわる伝説地をあるく」という散策会に混ぜてもらいました。瀧尾神社(拝殿・本殿・絵馬舎・手水舎・三嶋神社・愛宕神社・大丸繁栄稲荷舎・金毘羅宮・妙見宮)→夢の浮橋跡→泉涌寺(総門→今熊野観音寺→大門)というコース。
瀧尾神社(たきのおじんじゃ)は大丸ゆかりの神社で、全長8メートルの木彫りの龍が住んでいます。
瀧尾神社は洛東聾谷(ろうのたに)にあり、武鶏ノ社(たけのうのやしろ)と呼ばれていましたが、応仁・文明の乱により消失しました。『源平盛衰記』に、瀧尾神社の旧名「武鶏ノ社」が記されており、平安時代にはすでに存在していたと考えられています。
天正14年に豊臣秀吉の命により現在地に移されたとも、皇室にゆかりの深い泉涌寺の僧が守っていたともいわれています。宝永年間(1704年~1711年)に幕府の命令により社殿が改築され、瀧尾神社と改名されました。その後、江戸時代の天保10〜11年(1839年)にかけて、下村家の援助によって、本殿・拝殿・絵馬舎・手水舎が改修・建造され、現在の姿となったそうです。

下村彦右衛門正啓(旧大文字屋=大丸百貨店創業者)は、伏見の自宅から京都の中心地まで行商にいく途中、毎日欠かさず瀧尾神社に立ち寄ってお参りをしていたそうです。以来、大丸の事業成功はひとえに瀧尾神社のご利益のたまものであると多額の寄進を寄せているとか。なるほどあちこちに大丸の文字がありました。
拝殿の天井にいる全長8メートルの木彫りの龍、欄干の十二支、麒麟や龍の彫り物に職人の遊び心がみられて、見応えがありました☆
2012年1月30日
京都:保津川下り

冬は舟の中でストーブをたくので寒くないのです。
はじめて野生の鹿を見ました。
保津川下りも鵜飼も、本当は夫と乗りたいのだけど。

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